七度尋ねて

「七度尋ねて人を疑え」



わたしが幼い頃
母親がよく口にしていた諺です。



「人を疑う前に七回は確かめるねんで」



だからでしょうか、
人を疑うのは大嫌いです。



疑う気持ちが強まったとしても
ほとんど口にできず飲み込むし
疑っている自分が嫌で腹立たしくなる。



大むかしの話ですが
大好きな人に疑われたことがあります。
私への愛がそうさせたとしても
どんなに叫んでも私の言葉が届かないのに
他人の言葉を信じて
憎しみのまなざしを向けられることが
もどかしくて やりきれなくて
本当に悲しい思いをしたことが
痛みという感覚として残っている。


だから
わたしは疑惑をもって人を問い詰めることが
恐ろしくてできません。


SF映画なんかでありがちな
子供が自分の親に
地球外生命体とか妖精を目撃したことを
必死で訴えるんだけれども
全く信じてもらえない、っていうシーン。


あれ、むっちゃ腹が立つ。


自分の子供の言うこと、信じたれよ!
って思う。


グレーであれば信じたい


嘘をつかれているとすれば
相手を信じていない、ということを
相手が感じ取っているからだと思う


自分のことを信じている相手に
嘘をつくのは本当に辛いことだから。